引き寄せの法則は本当にあるのか
田舎に帰省していた時のこと
お昼に、鯛料理の美味しいお店へ連れて行ってもらいました。
そこの駐車場に、かっこいいレクサスがとめてあったんですよ。
めっちゃかっこいい!欲しいなぁ!!と思ったので、迷わずその車と記念撮影しました。
さも、自分の所有物かのようにパシャリと!ちょっと変な奴ですかね。

これはセルフイメージを、『このくらいの車を所有できる自分』に書き換えようとしたんです。
脳はとても騙されやすいといいます。
なので、ミラーニューロンの仕組みを利用しました。
[memo title=”ミラーニューロン”]
ミラーニューロンとは、脳に入った情報を真似ようとする働きです。
例えば、不良ものの映画を見た後、自分も強くなった気分になったり、恋愛ものに感情移入して自分が主役になっちゃったりする現象です。
また、脳科学では、RASといいますが、いわば脳内にはGoogleの検索機能のような働きがあるといいます。
そこをうまく利用すると、行動も結果も面白いように変わってきます。
またNLPでは、『脳は空白をきらう』といいますが、あえて抽象度の高い質問を相手に与えると、脳は答えが見つかるまで自動的に探し続けるという働きもあるそうです。[/memo]
最近、私には特殊能力がある?!引き寄せ?
ルイヴィトンの財布が欲しいなと思ったその日から、街中にヴィトンが溢れ、広告や雑誌にもヴィトンの特集!!なんだか不思議・・・。
引き寄せかしら?!
みたいな経験ありませんか?
これは脳が、無数の情報の中から、ヴィトンだけに焦点をあてて、意識化することによってそう感じるのです。
本当は、普段からも同じように目にしていても、意識していないためにスルーされてしまっています。
とにかく手に入る法則
僕は、昔から、欲しいと思ったことや、叶えたいと思ったことは、かなりの確率で手に入れてきました。
小学2年生の時の作文に書いていた夢は、先生か作詞家になることでした。
どちらも、20代、30代で叶えました。
駆け出しの無名バンドマンだった頃、ある大物ミュージシャンに、自分たちの存在を知ってもらおうと、デモ音源を渡しにいきました。
なんのコネもツテもありません。
当然、会えるわけがなく、その日は渡せずに帰りました。

けれども、その2か月後、どういうわけか、知り合いの紹介で会わせてもらえることになり、音源を直接手渡すことに成功しました。
全く繋がりがなかったのにです。
その時、私がやっていたのは、とにかく人に話しまくるということでした。
そして、根拠はないですが、必ず会えると信じていました。
音楽をやっていた頃は、このような奇跡的な出来事を、たびたび経験してきたので、脳内Googleの働きは、今となっては、なるほど!と思えます。
言ってれば叶う、信じてれば叶う。
もちろん、それに伴う行動は必要ですが。

目標達成は、意外と単純で簡単なのかもしれません。
なので、欲しいものがあるとき、叶えたいことがあるとき、必ず口に出すようにしています。
そして、脳内では成功するための方法を常に探し続けていますから、ヒントやチャンスに気付ける確率があがり、良い循環が巡ってきます。
なんだか引き寄せの法則みたいですけど。
スピリチュアルでもなんでもなく、引き寄せはあると思います。
単純に、認知が変われば、自分の行動が変わっていきますし、取捨選択の基準も変わってきますから、当然、現実も変わってきます。
認知 → 行動 → 現実
ドリームキラーには気をつけよう
認知が変わって、新しいことを始めるとたいがい、その時は呆れられるか、馬鹿にされるか、反対されますが、そんなことはどうでもよく、結果から逆算して見れば、周りの目は関係ありません。
人は急激な変化を嫌いますから、自分と同じ意識レベルの友達が成功しちゃうと無意識的には困っちゃいます。
なので、猛烈に反対したり否定したりしてきます。
そうすると、それまで燃え上がっていた熱がシューンと落ち込んでしまい、また今までの人生のパターンに戻ってしまいます。

本気で心配して止めてくる人もいますが、結局は誰も他人の人生の責任はとってくれません。
自ら本気で欲しい!と思ったパワーはとてつもないです。
本気で手に入れたいと思ったなら、十分な下準備のうえ、行動に移すことは大切なことです。
脳の取り扱いを学べば子育てにも有効
子育てにおいても、子どもたちに、あれこれ丁寧に教えすぎたり、何でもかんでもお手伝いしすぎると、せっかくある脳の働きを活用する機会を失ってしまいます。
そもそも、子どもは大人よりもはるかにポテンシャルは高いのです。
自分から、やりたい!知りたい!そんな感情をうまく引き出してあげる。
そのようなコーチング的な関わりは、子育てにおいて、とても有効かと思います。
大人の予想している、はるか上を、子どもたちは行ってしまうことはよくあることです。
そして、その時大人は、素直に子どもの能力の高さに敬服し、共に喜ぶことも大切かと思います。
大人も子どもも対等で過ごせたら、子ども時代のあなたはどんな風に感じていたでしょうか。